歪曲骨家。

創作小説置き場です。

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ヒカゲモノ1/3

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あの人。

初夏。熱された空気が物理法則によって上昇し、高層階の住人を苦しめ始める季節。私はそんな熱気から少しでも逃れようと、道路側の窓を開けた。日も高くなってきたこの時間は、通勤ラッシュも過ぎて比較的静かだ。マンションの住人も大体が出払っている。人通りの少ない道路を眺めていると、向かいの建物から誰かが出てくるのが目に入った。どこかの会社の社員寮だったか、向かいの建物もこの時間には人が少ないはずだ。そんな建物から出てきた彼女はこの季節には少し暑そうな格好をして、案の定暑いのか胸元をバタバタしている。チョコレート色の髪を無造作に流して、それが様になっていた。
「綺麗な横顔。」
口に出ていたことに驚く。誰に聞かれるわけでもないのに恥ずかしくなってしまい、?に手を当てて俯く。熱い。そのくせ手は氷のように冷たい。上がり症と冷え性相互扶助でもしているのか、と疑いたくなる。?の熱が手に移った頃には彼女は居なくなっていた。
「綺麗。」
彼女は私と違って強いんだと思う。どうしたら強くなれるの。答えの無い問いかけを虚空に向かって吐き出すしかできない。すっかり昇り切ってしまった太陽が、眼の中に緑色の残像を刻む。日向から日影へ逃れるように、私は窓のそばを離れた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
目覚めると時計の針は午前6時を指していた。昨日は作業をしながら寝てしまったようで、ペンを握ったままだった。座卓の上にとりあえずペンを置いて、緩慢な動作で立ち上がる。床で寝ていたせいか背中と腰が痛い。電気を消して、籠った空気を入れ替えようと窓を開ける。何気なく道路の向こうに目をやると、あの人が向かいの寮から出てくるところだった。私は足を止めて窓枠に肘をつく。あの人はゴミステーションまで歩いて行って、ゴミの確認をしているようだ。確認が終わるとエントランスに戻っていく。ポストの中身を出して、そこから先はよく分からなかった。
「管理人さんか何かなのかな。」
人と関わりを持ってもろくな事がなかった私からすれば、管理人という職業は自分と違う人種が就く職業といったイメージだ。このマンションに越して来てもうすぐ半年が経つが、隣の部屋の住人にすら覚えられていない自信がある。職業柄家にこもりっぱなしになるのは仕方ないが、それ以上に人と接する機会を出来るだけ減らそうとする自分の弱さが外出を思いとどまらせる原因だった。買い物に行くにしても人の少ない時間帯を狙って、服屋で話しかけられるのを恐れて通販に逃げ、仕事上のやりとりも総てメール。
「このままじゃだめだって事はわかってるけど。」
じゃあ明日からタイムセールに出陣して、服屋の店員さんと仲良く話して、打ち合わせもカフェでできるかって言うのとは話が別。
「……勇気をください。」
ズルズルと手の平の上を?が滑って行き、窓枠に顎が着地する。
「…………痛い。」
頭上を回る星にも縋りたい気持ちだった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
手紙を書こうと思ったのは本当にちょっとしたきっかけだった。部屋の片付けをしている間にレターセットを見つけた事と、向かいの寮とこのマンションの番地がひとつしか違わないと知った事。運良くあの人が読んでくれたらいい、そのくらいの気持ちで始めた事だった。私はあの人の住んでいる部屋はおろか名前も知らない。それでも、あの人には力がありそうだと思った。少なくとも、昼夜逆転した様な生活を送っていた私が、規則正しい生活をし始めるくらいには。
『真莉はさ、ひとりで抱え込みすぎなの。』
高校の時の唯一の友達がそう言っていた。今は何処にいるかも分からない。連絡先も知らない。彼女にとっては数いるうちのひとりだったのかもしれないけど、私にはたったひとりの友達だった。今の私は彼女が残した言葉に縋る事が精一杯だ。
行間の広い便箋に苦手な文章を書き綴って、薄い黄色の封筒に入れる。何かの拍子に剥がれてしまいそうなほど薄く糊付けする。
「届いて。」
あの人に。あの時の彼女みたいに、私に言葉をちょうだい。一言でいい。それで充分だから。充分に贅沢な事だから。月も無い闇が、そっと窓から染み出してくる。それを見てしまわない様に、目を閉じた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
チャイムが鳴る。チャイムが鳴るような心当たりは通販くらいだが、最近頼んだものはない。何だろう。誰だろう。緊張で冷や汗がにじむ。
ドアホンの受話器を取る。声が裏返った上に不自然な応対になってしまった。相手の人は声が低い。でも男の人ではない気がした。
玄関まで出る間に廊下に放置してあった段ボールを奥の部屋に隠す。物置からはみ出ていた掃除機のヘッドを突っ込む。
念のためチェーンを掛けたまま扉を開け、そこに立っていた人物に面食らう。

あの人だ。
チェーンを外して話を聞いていると、手紙に醤油をこぼしたと言う。手紙に気付いてもらえて嬉しい反面、中身を読まれていない事にがっかりする。こうして訪ねて来てくれる事がもはや奇跡に等しいのだが、もっと話したいと思ってしまう。自分がどんどん欲張りになっていく様な気がして怖い。
近くで見るあの人は、遠くから見るより遥かに綺麗だった。帰り際に見せた横顔は、どんな言葉でも形容できない。もっとその横顔を眺めていたい。彼女がエレベーターに乗る、扉が閉まるその瞬間まで、私は彼女を見つめていた。
「私を欲張りにする、罪作りな人。」
火照った顔を冷まそうと窓を開ける。道路の向こうで、同時に窓を開けた彼女と目が合う。不意の事に心臓がペースを狂わされる。見つめていると彼女が会釈をする。私も会釈をした。彼女は窓から離れていったが、私はなんだかもったいない気がして、しばらく窓のそばに立っていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あの人から手紙が来た。

ポストを覗いた私は思わずその場で悲鳴をあげそうになった。宛名が私で、差出人があの人なのだ。恐る恐る封筒を裏返す。差出人の名前は『緋田庵』。アンさんかイオリさんかは分からないけれど、一歩前進した事は確かだ。
エレベーターを待つのももどかしく、足踏みしてしまう。扉が開いて、中から出てきた人とぶつかりそうになる。
「あっ、ごめんなさい!」
「おはよう、元気だね。何かいい事あったかい。」
「おはようございます。すっごくいい事ありました!」
「そりゃ良かったね。」
テンションがいつものそれとは違うせいか、別人のように話せる。会釈をしてエレベーターに乗り込み、震える手でボタンを押す。知らずにやけそうになる顔を必死で引き締める。嬉しい。生きてて良かった。もうあの人じゃないんだ。緋田さんなんだ。
扉が開くやいなや飛び出して、気持ちに同調するように小走りになる。家に入ると窓の部屋に駆け込み、もたつく手で封筒を開ける。便箋に並ぶ字は少し崩れていて、親しみを感じた。内容は半ば苦情だ。それでもいい。彼女が、私に、手紙をくれたと言う事実だけが重要だ。
「何て返事しよう。」
今ならどんな無謀な事にだって挑戦できる気がする。彼女に会いたい。お茶に呼んでしまおうかな。ちょっとおこがましいかな。彼女に会う事だけを想像して、気の向くままペンを動かす。癖で薄く糊付けした封筒を、まぶたに乗せてみる。薄い黄色が目に染みてくる。深夜にポストへ投函してこよう。今日はいい日だ。
窓を開ける事もすっかり習慣になった。彼女を想うのが生活の一部になっている。もう彼女が居ない世界なんて考えられなかった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「返事来るかな。」
いざ投函する段になって一気に目が覚めた。彼女は別に私に好意があって手紙をくれた訳ではないし、目が合ったら会釈くらいはするけどそれも義務感からかも知れない。彼女が私の事をどう思っているかなんてのは全く不透明なのだった。彼女に会えるのは嬉しいが、彼女に無理をさせるのだったら、それは嫌だ。彼女に会いたい。私の欲で彼女を振り回す事はしたくない。
堂々めぐりの議論に終止符を打ったのは窓を開ける音だった。寝苦しくなった住人の誰かが開けたのだろう。私はびっくりしてしまって、思わず手に持っていた封筒をポストに突っ込んでしまった。そして逃げるようにその場を離れる。入れてしまった。期待と恐怖がせめぎ合う。返事は来るだろうか。不審に思われないだろうか。嫌われないだろうか。そもそも嫌われるほど好かれていたのか。
「分からない!」
部屋に戻った頃には肩で息をしていた。入ってきたままの勢いでふらふらと窓へ駆け寄る。満月の光が、冷たく差し込む。その光で火照りを冷ますように、目を瞑って風に当たる。
「青い。」
明日が来れば、彼女がポストを覗けば、手紙を読めば、総てが決まる。どんな結果に終わってもいい。それは他でもない彼女が決めた事だから。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「頭ではそう思っても、体は正直。」
全く眠れなかった。2時頃妙に冴えてきた目を頼りに仕事なんか始めたのが更にいけなかった。今度ブルーライト眼鏡買おう。4時頃おもむろに掃除を始め、掃除機を使うところ以外は完璧に済んだ。思い出したように鏡を覗くと、案の定目の下に濃いクマができている。誤魔化しきれるだろうか。寝癖の心配はないが、それと引き換えてもお釣りがくるくらい酷い顔だ。
「初めてまともに会えるかもしれない日なのに……。」
会えないかもしれないけど、と呟いた途端惨めになってきた。涙がにじむ目をこする。
「……当たって砕けろ。」
頬をつねって気合いを入れる。もともと大き過ぎた賭けだ。後悔だけはしたくない。半分死人めいていた顔が、少しだけマシになる。微笑んでみる。だんだん幸せな気がしてきた。
気分が回復したところで、朝食には軽めにシリアルを。牛乳を切らしていたのでそのままザクザク食べる。糖分が染み渡る。体も元気な気がしてきた。食べ終えた皿を片付ければ、あとは待つのみ。不備がないか確認して回る。
「掃除機かけなきゃいけないんだった。」
手早く掃除機をかけたら、物置に仕舞おうとしたところでチャイムが鳴る。
「ええっと、緋田、です。」
飛び出しそうになる奇声をどうにか抑え込む。掃除機を突っ込み、玄関に急ぐ。その途中で、表札を『チダマリ』にしたままだったと気づく。一瞬固まるが、最初に手紙を届けにきてくれた時も見てたはずだと思い直して諦める。

彼女を目の前にして、もう動悸が治まらない。桜色のパーカーというチョイスが意外に思えたが、彼女のチョコレート色の髪によく映えていた。正直に言うと、彼女が何を着ていても私はただ単に褒めちぎるだろう。
紅茶を出して自分も一口飲むとなんだか変に安心してしまって、意識が途切れる。彼女の呼ぶ声が聞こえて現実に帰ってくるも、寝不足と幸せな気持ちが相まって完全に覚醒できない。
「昨日は遅かったんですか。」
「それなりに……。締め切り近いので。」
締め切りは、徹夜しなければいけないほど近くはない。あなたの事を考えていて眠れませんでしたとはさすがに言えないので、適当な事を言って誤魔化す。せっかく彼女が家に来ているのに、彼女が私に話しかけてくれているのに、眠気が邪魔をして頭が回らない。
結局、彼女の前で寝顔を晒す事になってしまった。それでも彼女は私が起きるまで待っていてくれて、申し訳なさで泣きそうだった。それから少し話をして、お茶会の約束を取り付けて、彼女は帰っていった。次は絶対に起きている。見送りから戻った私は桜色のパーカーが部屋に残されているのに気づいた。彼女のものだ。
「……私、これ枕にして、た?」
くっきりと残った頭の形。背筋を冷たいものが走る。あろう事か彼女のパーカーを枕に。
速攻で洗濯機を回した事は言うまでもない。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
彼女がお土産を持って来てくれた。中身は指輪だった。彼女が、私の左手の薬指に、指輪を嵌めてくれた。盛大に勘違いしてもいいだろうか。もう人生悔いはない。欲張れば言いたいことは山ほどあるのだけど。

彼女の横顔が好き。真莉って呼んでほしい。言いたい事が沢山ありすぎる。彼女の正面顔は直視できない。
「私のことも、庵でいいです。」
ああ、イオリさんなのか。勢いよく頭を上げてしまう。彼女と目が合う。どきどきする。
「はい、庵、さん……。」
「よくできました。」
彼女が私の頭を撫でる。心臓が破裂しそうだ。彼女がこんなに近い。顔が上げられない。次に目が合ったら気を失ってしまいそうだ。
「真莉さんだからじゃないですか。」
やめて、勘違いさせないで。彼女はそういう意味で言ってるんじゃない。それなのに体は言う事を聞かなくて。
確信した。彼女は天然のプレイガールだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
知らないうちに彼女と一緒に仕事をしていたらしい。嬉しい。運命を感じない方が難しい。
パフェを食べて、彼女を家に呼んで。また寝てしまったのは惜しい所だけど、彼女が膝枕をしてくれていたからもう一度寝てもいいと思った。
毎日でも彼女に会いたい。叶わない事だと分かっていても、そんな欲が口をついて出てしまいそうになる。言葉にする代わりに、深く溜息を吐いた。
彼女は私の事をどう思っているんだろう。友達のひとり、なのかな。親友くらいには思われてる? 分からない。訊く勇気も、まだない。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
チャイムが鳴る。今日は誰かが来る予定はなかったはずだけど。ドアホンを取ると彼女だった。仕事道具をさっと片付けて、ドアを開ける。
「今日も何もないけど。」
「真莉さんが居てくれるだけでいいよ。」
耳を疑う。ちょっとソレもう一回言って欲しい。
「ちょっと……どういう意味で言った? 今。」
?が熱くなる。彼女は苦笑いだ。勘違いだと解ってさらに熱くなる。
彼女を座らせて話を聞くと、彼女は今の部屋の契約が切れて、新しい家がなくて困っているという。お家探しは私より不動産屋の方が頼りになると思うが、何にせよ彼女が最初に私を頼ってくれて嬉しい。とは言え、大した解決策を思いつかないので虚しくなってきた。
「……じゃあ、ここ、住む?」
散々考えた末の結果がこれだった。
「無理無理、家賃お高いでしょ?」
彼女は顔の前でパタパタと手を振る。
「そうじゃなくて、その……。」
最大限断言を避けたら伝わらなかった。ストレートに言い切る勇気がない自分がもどかしい。
「違うの?」
彼女はキョトンと目を丸くする。私と一緒に住むなんて、彼女は嫌だろうか。
「この部屋、に……住む?」
言ってしまった。彼女は目を丸くしたまま二度瞬きをした。言ってしまったことの重大さに気づいて、頭が沸騰する。彼女が口を開くのが怖い。否定されたらどうしよう。私はなるべく彼女の顔を見ないように俯いた。
「………………えっと、いいの?」
彼女の反応は鈍い。
「…………嫌?」
怖い。続きなんて聞きたくない。それでも口は勝手に喋る。
「そんなことないけど、ないんだけどさ……? でも……。」
「でも何? ……嫌ならそう言って。」
違う。こんなことが言いたいんじゃないの。
「ちょっと、何拗ねてるの。嫌じゃないって。」
「嘘、何が不満なの?」
本当? そう訊きたいだけなのに。
「不満なんてないから、顔上げてよ。」
「嫌。」
ごめんなさい、今の顔はとても見せられない。彼女の目を見たら最後、決壊してしまいそうだ。
「どうして、ねぇ。」
「嫌。」
彼女が眉根を寄せる。ああ、彼女を不愉快にしてしまった。謝りたい。ごめんなさい。なのに。
「……真莉。」
彼女の温かい手が、私の凍てついた手に触れる。
「聞いて。」
「嫌。聞かない。」
ごめんなさい、もう放っておいて。全部忘れて。否定しないで。ずっと憧れてだけいればよかったんだ。会いたいなんて、話したいなんて、触れたいなんて。思わなければ良かったんだ。そうすればこんなに苦しむこともない。辛そうな彼女を見ることもない。今の彼女と私はあまりにも遠い。
「じゃあ勝手に言うけど、私は真莉みたいに料理出来ないし、家賃だって半分払えるか怪しいし。」
「やめて。」
慰めならよして。優しくしないで。彼女の指が、手の甲を撫でる。
「何より真莉が本当に私といて幸せなのか分からない。」
「っ……。」
胸の奥がツンと痛くなる。彼女の声色が、彼女の真剣さを物語っていた。彼女を疑っていた自分が許せなくなる。ちょっと否定されたくらいで彼女を疑って、彼女の気持ちには目を瞑った。喉の奥から込み上げる嗚咽を必死に噛み殺して、それでも溢れてくる涙を何度も拭う。熱い、彼女の手が離れる。力の入らない手で彼女の手を捕まえる。何かに触れていないと、壊れてしまいそうだった。彼女の熱い手が、私の肩を包む。彼女の鼓動が聞こえる。
「……ごめん。」
「…………嫌。許さない。」
彼女が私を欲張りにした。
「…………ごめん。」
「……そんな事言われなきゃ分からない。」
でも、欲張りになってしまったのは私。
「ごめん、真莉。」
「全部言って、考えてる事全部。」
彼女が微笑むのがわかる。
「真莉、ごめん。……幸せ?」
「幸せだよ。私がどれだけ庵の事想ってるか知らないでしょ。」
彼女の音が少し速くなる。
「うん。真莉も言ってくれたら分かるよ。」
茶化すように言ったその言葉は、照れ隠しだといい。
「私の悩みも聞いてくれる?」
「うん。」
色々とすっ飛ばして、もう言ってしまおう。
「……苗字ちょうだい。」
「ひだまり?」
「……だめ?」
「似合ってるよ。」
髪を撫でる彼女の手が、耳に触れる。もう、どちらの熱かも分からない。

 

 

ちょっと続く。

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